お知らせ
2017 / 05 / 10 18:14
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2017 / 03 / 24 16:48
2017 / 03 / 14 17:19
To be, or not to be
生きるか死ぬか、それが問題だ。
どちらが高貴な心といえるだろうか、
荒れ狂う運命の投石や弓矢にじっと耐えているか、
それとも圧倒する困難に向かって武器を取り、
異議をとなえて、一切を終わりにするか。死ぬとは、眠ること、
それだけだ。そして一度眠れば、
心の痛みもこの身体がうける数限りない衝撃も
一切が終わりになる。これが敬虔なる者が渇望する
最後の極致だ。死ぬことは、眠ること。
しかし眠れば、多分夢を見るだろう。ああ、ここでつまづくのだ。
この人生のしがらみを脱ぎ捨てた時、
死の眠りのなかで、どんな夢が訪れるのか分からない、
これがわれわれを躊躇(ちゅうちょ)させているのだ。ここにこそ、
長い不幸な人生を忍んでいる理由があるのだ。
誰が世間の鞭と嘲笑に耐えるだろう、
圧制者の悪に、傲慢な男の無礼に、
叶わぬ恋の傷みに、法の遅延に、
役人どもの横柄さに、そして
下劣な連中の侮蔑に、どうして耐えるだろう、
短剣のたった一突きで
この人生におさらばできるのに。
誰が、疲れるだけのこの人生で
うめき声を上げ額に汗して重荷に耐えるだろう、
どんな旅人も帰ってきたことのない
未知の国、その死の後に来る恐ろしいもの、
それが意志を当惑させ、
知らない処に飛んで行くよりも
今なめているこの辛酸に耐えさせているのだ。
こうして、もの思う心がわれわれ全員を臆病者にし、
新鮮な決意の色は
青白い憂愁におおわれ、
偉大な高みと意味をもった企ては、頓挫(とんざ)し、
実行されない。まて、やあ、
オフィーリアだ。妖精だ、汝(な)が祈りのなかに、
わが罪を唱えさせたまえ。