2017-03-14 17:19:00
生きるか死ぬか、それが問題だ。
どちらが高貴な心といえるだろうか、
荒れ狂う運命の投石や弓矢にじっと耐えているか、
それとも圧倒する困難に向かって武器を取り、
異議をとなえて、一切を終わりにするか。死ぬとは、眠ること、
それだけだ。そして一度眠れば、
心の痛みもこの身体がうける数限りない衝撃も
一切が終わりになる。これが敬虔なる者が渇望する
最後の極致だ。死ぬことは、眠ること。
しかし眠れば、多分夢を見るだろう。ああ、ここでつまづくのだ。
この人生のしがらみを脱ぎ捨てた時、
死の眠りのなかで、どんな夢が訪れるのか分からない、
これがわれわれを躊躇(ちゅうちょ)させているのだ。ここにこそ、
長い不幸な人生を忍んでいる理由があるのだ。
誰が世間の鞭と嘲笑に耐えるだろう、
圧制者の悪に、傲慢な男の無礼に、
叶わぬ恋の傷みに、法の遅延に、
役人どもの横柄さに、そして
下劣な連中の侮蔑に、どうして耐えるだろう、
短剣のたった一突きで
この人生におさらばできるのに。
誰が、疲れるだけのこの人生で
うめき声を上げ額に汗して重荷に耐えるだろう、
どんな旅人も帰ってきたことのない
未知の国、その死の後に来る恐ろしいもの、
それが意志を当惑させ、
知らない処に飛んで行くよりも
今なめているこの辛酸に耐えさせているのだ。
こうして、もの思う心がわれわれ全員を臆病者にし、
新鮮な決意の色は
青白い憂愁におおわれ、
偉大な高みと意味をもった企ては、頓挫(とんざ)し、
実行されない。まて、やあ、
オフィーリアだ。妖精だ、汝(な)が祈りのなかに、
わが罪を唱えさせたまえ。